二章

 

 水車がガラガラと音を立てていた。村に水を供給し、また荷揚げのクレーンの動力源にもなっているこの水車はそれこそ一年中止まることがない。そしてこの水車は、村で唯一の大衆酒場、そのトレードマークでもあった。
 酒場はもう深夜だというのに、多くの人で賑わっていた。ここは貴重な社交場なのだ。村の住人、ハンターだけではなく、交易のために村を訪れた商人たちも一様に酒を酌み交わしている。この村ができたばかりの頃、数年前までは、この酒場も寂れていたそうだ。しかし、ユノと同じように初心者ハンターとしてやってきた一人の若者が、成長し活躍して村を発展させてきた。
 その若者は今では、生きる伝説とも呼ばれ、大きな街ドンドルマに拠点を移して活動しているらしい。残念ながら、ユノは直接会ったことが無かった。
 その伝説のハンターも、駆け出しの頃は同じように悩んだのだろうか…?

 

「ユノちゃん、元気出して」
 そう声をかけられ、ユノは突っ伏していたカウンターから顔を上げる。話しかけてきたのは緑色の服を着た少女だ。その服は狩人ギルドの受付嬢の制服なのだが、ギルドの窓口は人の集まる酒場に作られていることが多いため、ウェイトレスのようなこともしている。
 彼女はとん、と麦酒(ビール)の入ったジョッキを置いた
「ほら。これサービスしてあげるから。元気出しなって」
「…ブランデーのほうがいい」
「贅沢言わない」
 こつん、と頭を小突かれた。ユノは不服そうに、けれども麦酒には口をつける。果実酒ほど好きではないが、麦酒も嫌いではない。
「パティ」
「ん?なーに?」
 パティ、というのはこの受付嬢の名前だった。たしか、ユノよりもいくつか年上だったはずだが、小柄なためか制服が少女趣味なデザインのためか、ユノには同じくらいの年に見える。
「わたし、才能ないのかな」
 ちびちびと麦酒を()りながら呟く。
「さあね」
 パティは、あっさりとそう返した。手をぱたぱたと振って、
「あたしはハンターじゃないからねえ。ハンターの才能について聞かれてもわかんないよ。
ま、受付嬢の才能は、間違いなくないだろうけど」
 失礼な、と思ったが否定はできなかった。女友達同士だからこそこんな会話をしているが、パティは客の対応もちゃんとできる。一方、自分がカウンターに立っている姿というのはどうにも想像できない。愛想を振りまくなんてのも無理だ。パティの言うように受付嬢としての才能はないに違いない。
「ハンターのことはハンターに聞いたら?」
 そう言ってユノの隣を指差す。つられて隣を見たユノは、ひっ、と息をのんだ。
 …死刑執行人がいた。
 今の今まで気付かなかったが、ユノの隣のスツールに腰かけていたのは、ハンターだった。ユノには分からなかったが何かのモンスターの鱗でできた鎧をまとっており、足元には大きな戦鎚(ハンマー)が立てかけられている。まぎれもなくユノと同じ、ハンターだ。
 しかし、その装備の中で、兜だけがひときわ異彩を放っている。鱗でできた鎧とは明らかに違う素材でできており、兜というよりは仮面と呼ぶべきかもしれない。側頭部から曲った角が後ろ向きに生えていて、それは伝説に聞く悪魔(セイタン)を思わせた。少なくとも、夜道で出くわしたら間違いなく悲鳴を上げる。
 そんな不気味な風体の男だった。男は食事の最中だというのに、その不気味な仮面を取ろうとはしない。料理は小さく切り分けて口へ運び、麦酒は草の茎をストロー代わりにして飲んでいた。仮面を取って食べればもっと楽なのに、とユノは思う。ハンターは休日でも装備を手放さないが、それは装備で自分の力量を誇示するためでもあり、思いがけない緊急の依頼に対応するためでもある。酒場に来る時だって鎧は着たまま、武器は背負ったままというのが普通だが、それでも兜くらいは脱ぐ。食べにくいからだ。よほどその仮面を脱ぎたくない理由でもあるのだろうか?
 ハンターだということは一目瞭然だったが、声をかけるのは些か躊躇われた。怪しい風体というのもそうだが、全く面識がないからだ。ハンターにだって気さくな人もいれば、気難しい人だっている。このハンターがどちらのタイプなのか、ユノには解らない。
「ユノ、こちらはハガネさんよ。あなたにとっては大先輩ね」
 助け舟を出してくれたのはパティだった。
「…知ってるの?
「あなたが密林へ狩りに出ている間に、幾つか小さな依頼をこなしてもらったの。大丈夫、見た目はとことんコワいけど、親切でいい人よ」
 くくく、とくぐもった笑いが隣から聞こえた。仮面のハンターが可笑しそうに体を震わせている。
「それはひどいな、お嬢さん。まあ、自覚がないわけでもないのだけれどね」
 本当だ。仮面のハンターはパティの言葉に、軽口で返す。不気味なのは相変わらずだったが、幾分警戒心は薄れていた。
 仮面ハンターは麦酒のジョッキをごとりと置くと、体ごとユノのほうに向きなおった。かなり大柄だ。鎧で着膨れしているのもあるが、それでもかなり体格の良いほうだろう。
「不気味なのは、悪いが我慢してくれ。昔狩りで傷を負ってな。
以来、それを隠すためにこうして仮面をつけているのさ」
 男の言葉に、ユノは訝しげな視線を向ける。ハンターにとって、傷はもちろん避けるべきものだが、それは同時に勲章でもある。強大なモンスターと死闘を演じた…その証なのだから。ユノのように女性ハンターであれば、まだ分からなくもないが、男性であればむしろ、見せびらかそうとするのが普通だ。
 そのことを尋ねてみると、男は可笑しそうに大きな体を揺すった。
「勝ち戦ならね」
 つまりは、負け戦でできた傷なのだろう。たしかにそれは、恥ずかしくて見せられないかもしれない。ユノだって、勝ち戦でできた物なら、武器が折れても防具がボロボロになっても、それを誇っただろう。
「どんなハンターだって、始めから上手く狩りができるわけじゃないさ。
ハンターにとって一番の武器は、積み重ねてきた経験なんだよ」
「経験?」
「ハンターが相手にするのはモンスターだけじゃない。
もっと大きな、自然そのものと言えるものを相手にするんだ。
地形や天候、時間の流れ。そういうものを知っているかいないかで、狩り場では生死さえ決まる。どれだけ強力な装備を持っていても経験がなければ勝つことはできないし、逆に、装備が貧弱で状況が不利でも、経験があればやりようがあるのさ」
 ハガネはそこで間をとるように、麦酒に口をつけた。ユノはハガネの言葉を噛みしめる。
ハガネの言葉は的を得ていた。ユノには決定的に経験が不足していた。新人だから当然ではあるけれど、だからこそ慎重になるべきだったのだ。《ドスファンゴ》を突進しか能のないモンスターだと思い込んでいた。突進を使い分けることができるとわかっても、攻撃手段が突進だけだと決めてかかっていた。もし、突進を使い分けられると知ったとき―――他にも、攻撃手段があるのではないかと疑っていれば。調子に乗って攻撃をしなければ、あの攻撃を防ぐなり、避けるなりできたのではないか…?
 そう考えると、自分の浅はかさに腹が立った。
「…と、ま。理想論を言えばそうなるんだけどな」
「え?」
 グラスをカウンターに置いたハガネが、不意に明るい口調で切り出した。唐突なことにユノはぽかんと口をあける。
「言うは易し、だな。誰だって失敗するさ。そして、失敗して反省するなら早いほうがいい。致命的な状況に遭遇する前に、対処法を身につけておいたほうがいい。
死んでもいないし狩りに出られない大怪我を負ったわけでもないなら、それはハンターにとって負けじゃあないさ」
 急に視界が、晴れた気がした。自分に対する怒りが、すう、と引いていく。
命ある限り、負けではない。その通りだった。弱きものは餌食となり、強きものだけが生き残るこの大自然。ユノは生きて帰ってきた。二度と狩りに出られない怪我を負ったわけでもない。きっと勝ちではないけれど、負けてもいないはずだ。
 勝負はまだ、ついていない。
きっとこの勝負は、これからも狩りを続けて―――ユノが、ハンターとしての生を終える時に決着がつくのだ。闘いは、これから。自分はまだ、走り出したばかりなのだ。
「パティ!」
 思わず立ち上がって声を上げていた。
「明日、密林に狩りに出るわ」
「…《ドスファンゴ》一体の狩猟。ええ、受注しておくわ」
 パティが穏やかな笑みを浮かべる。うまく乗せられた気がして、急に恥ずかしさが込み上げてきた。でも、取り消すことはすまい。今日、自分は覚悟を決めたのだ。
 いつ決着がつくとも知れないこの闘いを、生ある限り続けていくのだと。



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