三章

 

 抜き放った《ハンターナイフ改》を、ユノはじぃ、と見つめた。先日折られてしまった《ハンターナイフ》を、貯めておいた《鉄鉱石》で強化したのだ。見た目は、そう変わったわけではない。ただ、こうして抜いてみると解る。《鉄鉱石》が追加されたことで密度が増し、ずっしりと重くなっていた。
 昨夜、酒場を後にしたユノは、武具工房に駆け込んで急ぎで《ハンターナイフ》を強化してもらった。思いつく限り、できる限りの策を取ってみようと思ったのだ。
 ユノは重くなった《ハンターナイフ改》を、軽く振ってみる。重くはなったが、重心などは変わっていない。これなら、扱いで戸惑うことはないだろう。重くなったことで威力は増し、密度が上がったことで刃こぼれしにくくなった。前のように、簡単に折られてしまうことはないだろう。…だが、これだけでは足りない。
 ユノは密林の拠点に泊めた小舟(ボート)ら、一抱えもある円盤を下した。重さはそうでもないが、慣れない形に戸惑う。これが「秘密兵器」だった。
 ユノがした準備は、武器の強化だけではない。村にいるハンターたちや、狩りに詳しい村人などから情報を集めていた。こうした「狩りの知恵」は本来、そのハンターにとって命とも言える大切なものだ。たとえばモンスターを簡単に狩れる(すべ)があったとして、それを他人に話してしまっては食いぶちを稼げなくなってしまう。だから大概口は堅く、親しい友人か師弟関係でもなければ教え合うことはまず、ない。だがそこは、小さな村というのが幸いした。村に来てからの間に、ユノは村人とかなり親しくなっている。全てを教えてもらうことはできなくても、ちょっとしたアドバイスくらいはもらうことができた。
 《シビレ罠》。それが、この円盤の名前だ。人間以上の重さがかかると、外装が壊れて中から麻痺毒と電撃が放出される。これを踏み抜いたモンスターは、身体がシビれて一時的に動きを封じられるという寸法だ。村に駐留しているハンターが教えてくれたものだった。どれだけ強大なモンスターでも、動いていなければ安全に攻撃できる。ユノは今まで、(トラップ)の類を使用したことが無かった。扱いが複雑で面倒だったからだが、今はそんなことは言っていられない。
 ユノは装備を確かめ、薬や砥石を腰のポーチに収めると、最後に《シビレ罠》を背負って拠点から駆け出した。目指すは前回と同じ、エリア7の洞窟だ。今までの戦いで、ユノが一つだけ正解だったと胸を張れるもの、それが戦場の選び方だった。たとえば、エリア7に隣接しているエリア3は、視界も足場も悪いうえ、通常体の《ブルファンゴ》が生息していることがある。負けた時、もし周りに《ブルファンゴ》がいたら、たとえ《ドスファンゴ》が見逃してくれても助からなかったかもしれない。
 エリア4の砂浜を抜け、エリア3の密林を経由し、ユノは岩でできた天井をくぐる。全天が灰色で占められた空間…エリア7の洞窟だ。ユノは《ハンターナイフ改》を抜き放って、《ドスファンゴ》が来るのを待った。これも、村のハンターが教えてくれたことだが、モンスターと出会って射竦められた時、武器を抜いていると不思議と硬直が少ないらしい。武器を抜くことで身体が戦闘状態に移行する―――そうではないかと、ユノは考えた。それに、あらかじめ構えていたほうが、隙も少ないはずだ。
 やがて―――数分程度だっただろうが―――ユノが入ってきたのとは別の入り口から、荒い鼻息が聞こえ始めた。間違いない、奴だ。餌の少ない洞窟内に、通常体の《ブルファンゴ》が入ってくることはない。
 重量物が地面を踏みつける音。蹄が小石を蹴飛ばす音。そしてその巨体は、のっそりと姿を現した。白い体毛に覆われた、頭目級大猪《ドスファンゴ》―――。
 覚えのある場所に、傷が付いていた。毛の一部が切れて、地肌が見え、そこだけ赤くなっている。この個体は、あのときの《ドスファンゴ》だ。
「―――来たよ」
 また、ここに。今日は負けない。

 

 突進してきた《ドスファンゴ》を、ギリギリでかわす。避けられないのではない。下手に大きく避けると距離が離れてしまい、攻撃のチャンスが失われてしまう。ユノは背後に回り込んで、《ハンターナイフ改》で斬りつけた。深追いせず、23回斬りつけたら離れる。   
 突進のスピードを殺しきるまでは、《ドスファンゴ》とて次の攻撃には移れない。だが止まった後なら、あの牙を振りまわす攻撃ができる。ユノが体験した《ドスファンゴ》の攻撃の中で、あれが一番厄介だった。突進と比べて予備動作が無く、回避も防御も間に合わない。だが、「確実に安全な時間」のみに攻勢を限れば、余裕を持って対応できる。そして距離が離れていれば、牙による攻撃より、突進を誘発できるはずだ。
 ユノは同じように斬っては離れ、斬っては離れを繰り返した。攻撃後、ちゃんと離れることを除けば、前回までとそう画期的に変わったわけではない。だが、経験と準備が着実に実を結びつつあった。《ドスファンゴ》の攻撃を見極められる。そして、ユノの攻撃は確実に《ドスファンゴ》の体力を奪っていった。威力を増した《ハンターナイフ改》は、《ドスファンゴ》の頑強な肉体を殴打し、太く硬い毛皮を切断し、《ドスファンゴ》の体中に切り傷を与えていた。周囲には白い体毛が散らばり、反対に《ドスファンゴ》の剛毛の鎧は、見る影もなく刈り取られていた。
「――――ッ!?
 不意に、《ドスファンゴ》が向きを変えた。想定していない動きだ。ユノは新たな攻撃手段を警戒し、盾を構えて全身を強張らせる。しかし《ドスファンゴ》はくるりとユノに背を向けると、洞窟の入り口を目指して走り出した。
 あの化物じみた体力を誇る白き獣が、ついに猛攻に耐えかね、敗走したのだ!だが、その強靭な生命力は、ほんの数日で傷を癒してしまう。この敗走はユノにとっての勝利では、まだない。確実にとどめを刺して初めて狩りは成功だ。
 だが、弱ってなお《ドスファンゴ》の膂力(りょりょく)は強く、ユノが追いつける速度ではなかった。このまま密林の枝葉の中に紛れ込まれれば、見失ってしまうのは確実だ。逃げる《ドスファンゴ》、追いすがるユノ。ついに《ドスファンゴ》は洞窟の外、陽光の下へと逃れ出た!
 ―――――!!
 くぐもった悲鳴が上がる。洞窟を飛び出した《ドスファンゴ》のその足が、あの円盤を…《シビレ罠》を踏み抜いていた。割れた円盤から飛び出た小さな牙のようなものが《ドスファンゴ》の足に刺さり、麻痺毒を注入する。同時に、内部の(ケイジ)で《雷光虫》が放電していた。

 

…弱ったモンスターは、その場から逃げだして休眠しようとする。これも、情報収集で得たヒントだった。逃走中のモンスターは、ハンターなど目に映らないかのように一心不乱に逃げるという。それを、人間の足で追いかけてどうにかするというのは難しい。翼のあるモンスターならば、空に逃れてしまうことだってある。
 …でも、《ドスファンゴ》は?飛ぶことのできない《ドスファンゴ》なら、洞窟の出入り口を目指すのではないか?そう考えたユノの予想は、大当たりだった。《ドスファンゴ》がここから逃げることを予想して、ユノは入口に《シビレ罠》を設置しておいたのだ。
 動きの止まった《ドスファンゴ》に追いつくのは造作もなかった。目の前で、《ドスファンゴ》は痙攣しながら(うずくま)っている。力が入らないのだろう。
ユノは《ドスファンゴ》の前に出ると、《ハンターナイフ改》を逆手に持って、切先を《ドスファンゴ》の眉間に当てた。幕引き(カーテン・フォール)だ。
「ありがとう。あんたの命、無駄にはしないよ」
 すとん。骨の隙間を狙った一撃は、思った以上にあっさりと、《ドスファンゴ》の頭蓋を貫いた。刃は脳まで達し、静かにその生命を終焉させる。《ドスファンゴ》の眼球はくるりと上を向き、何百キロもある巨体が、どたんと地面に倒れこんだ。《ハンターナイフ改》を抜き取ると、鮮血と脳漿とが混ざり合ったピンク色の液体がとろり、と傷口から流れ出す。
 効果時間の切れた罠が爆発して果てても、《ドスファンゴ》はもう動かなかった。

 
 剥ぎ取った毛皮を持って、桟橋におりる。待ち構えていた村長が、両手を上げて祝福してくれる。酒場のカウンターの中から、パティが笑顔を投げかけてくれる。しかしユノは大声を上げるでもなく、はしゃぐでもなく、恥ずかしそうに頬を掻いただけだった。
 嬉しくないわけじゃない。望まなかったわけじゃない。ただ、狩りの終わった今、思うのは自然への畏敬。予想していたような爽快感はなく、かわりに予想していた以上の充実感があった。狩りとは、ただ単に生き物を殺すことではない。人間はこのとてつもなく巨大な自然から、その一部を分けてもらっているのだ。
 桟橋を抜ける風に、手にした毛皮の匂いが混じった。獣臭いその風を、不思議と嫌だとは思わなかった。あの《ドスファンゴ》もユノも、大きな自然の中で生きている。
 今はただ、それだけでいいと思った。





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